緑豊かな里山でありながら、都市部ともほどよい距離にある南畑地区には、よりよい制作環境を求めて多くの作家が移住している。「工房Pao」を営む陶芸作家の柳さんとタナベさんご夫婦が、南畑地区の埋金に拠点を構えたのは2005年。「あっという間の12年間だった」と語るおふたりに、生活や制作活動での変化についてうかがった。
今日はありがとうございます。南畑地区に来られる前は福岡市内に工房を構えられていたとのことですが、南畑への移住を検討することになったきっかけをお聞かせ下さい。
柳さん:きっかけは、南畑地区に工房を構えていらっしゃったYさんご夫妻との出会いでした。福岡市内のギャラリーのパーティーで出会ったんですが、お互い作家気質のところが好印象で、すぐに意気投合しました。そこで話しているうちに、Yさんが「実は自分は南畑地区に工房を持っているけれど、もう高齢なので閉じようと思っている」と話してくれたんです。それで「閉じるなら見せてください!」とお願いして、遊びに行ったのが始まりでした。
タナベさん:その頃、私たちの工房は自宅と別になっていたので、作業の手間からも工房と自宅を一緒にしていければ、と考えていたところでした。そんなタイミングでこのログハウスに出会って、一目で気に入ってしまったんです。
柳さん:埋金の美しい山並みと、建物が密集していないゆったりした環境、工房の裏手にサラサラと流れる小川を見て「ここしかない」と思いました。当時、娘がちょうど小学校入学を控えていて、近くに小学校があることも大きかったですね。Yさんや南畑との出会いと娘の入学のタイミングと、全てがぴったり噛み合った感じでした。
偶然の出会いが素敵なきっかけになったんですね。では、Yさんとのお話がまとまってからすぐに移住されたんですか?
柳さん:それが実は、Yさんと出会ってから工房を構えるまでさらに1年半くらいかかったんです。
このログハウスが建っている土地は、埋金に昔から住んでいる方に借りたものなんですが、まずはそのオーナーの「面接」がありましたね(笑)。オーナーは芸術に理解の深い方で「南畑を芸術の村にしたい」という志をもって作家たちに土地を貸してくださっていたんです。だから、どれくらい本気で芸術に取り組んでいるのか、これから芸術で自活していけそうか、ということを見ていただいていたようです。
それが終わったら、次はYさんから買い取ったログハウスの改装が待っていました。壁を塗り替えたり、棚を作ったりして自分たちの好みに改装していくのは楽しかったんですが、福岡市内から通いながらなので、それなりに時間はかかりましたね。
でも、時間がかかったおかげで、いざ住み始める頃には地域の人たちが僕たち家族のことを知ってくれていて、すごくスムーズに溶け込めました。オーナーやYさんが、あらかじめ僕たちのことを話していてくれていたのも大きな助けになりました。
移住に際して気を配ったことなどありましたか?また、住んでみて想像と違ったことなどあったら教えてください。
柳さん:僕は最初から「地域のことはすべて受け入れよう」という心構えでここに来ました。今まであまり地域行事などに参加する方ではなかったんですが、この理想的な環境の地域に住んでやっていく以上、やるべきことはきちんとやっていきたいと思ったんです。
まず、消防団にはすぐに入りました。消防団に入ると本当に一発で仲よくなれますよ(笑)。小学校の活動にも積極的に参加しましたね。子供が6年生の時にはPTA会長もやったんですよ。
タナベさん:わが家には娘がいたので、小学校や子ども会を通して家族まるごと地域に馴染んでいく感じでした。作家の中には、地域の方とは交わらずに自分たちの世界にこもって暮らす人たちもいるけれど、私たちは、地域に入っていって共に暮らすことが自然なスタイルだと思ったんです。
柳さん:想像と違ったのは、すごく意気込んで来たせいか、地域の活動に全然負担を感じなくて、逆に拍子抜けするくらいだったことですね(笑)。地域の運動会やおこもり(地域の飲み会)も、本当に楽しんで参加しています。
こういう自然の中で暮らすということは交通の便の悪さや、家の中に虫が出てドキッとしたりとかありますが、辛いとか感じたことはないですね。この自然の中で四季を感じながら暮らせることのメリットの方が大きすぎて、デメリットが小さく感じるのかもしれません。
娘さんの小学校入学も移住のきっかけのひとつだったとのことですが、12年という長い期間を過ごしてみて、子育て環境としてはどう感じられましたか?
タナベさん:まず、南畑小学校の教育が本当によかったなと思っています。実は、引越しするまで南畑小学校のことはよく知らなかったんですが、娘が通いだして初めて、とてもいい教育をしていることを知りました。たとえば、それぞれの学年に南畑の作家さんが担当する染物や陶芸の授業があったり、ホタルの飼育や田植え体験があったり。
柳さん:子どもが日常の中で四季を感じながら、自然に囲まれて育っていくのがすごくいいですね。南畑で育った娘がこれまで当たり前に感じてきたものは、きっと大人になってからも大きな財産になると思います。
柳さんとタナベさんはお二人とも陶芸作家でいらっしゃいますが、南畑に制作場所を移してから変わったことはありますか?作風にも影響はあったのでしょうか。
柳さん:制作環境としては、間違いなくいいですよね。福岡市内の工房は、住宅地の中にあって道路も近かったので、騒音が気になっていました。ここでは風の音や小川のせせらぎの中で制作できるので、その差はとても大きいです。他の家が隣り合っていないので、制作中に気兼ねなく音楽を流せるのもいいんですよ。12年経って、今では日常になりつつある環境ですが、改めて考えると本当に贅沢ですよね。
タナベさん:作風はあまり変わらないんですけどね。ふと目を上げると木の葉の緑が見えたり、ふいに鳥の声が聞こえたりする環境で、作業中の気持ちは以前に比べてとても穏やかになりました。
柳さん:僕は作風も変わったかもしれません。基本的な部分はそのままなんですが「売れるものなんか作っていてはダメだ!」みたいな頑なさがなくなって、表現の仕方が柔軟になったかな。地域との関わりを経て、テリトリーが広がっていった感じですね。
最後に、南畑の先輩作家として、これから南畑移住を考える作家のみなさんにメッセージをいただけますか?
タナベさん:若い作家は収入も少なく、よい環境に工房を構えることはなかなか難しいんです。そんな若い方たちが来やすい環境がさらに整っていくといいな、と思います。
柳さん:南畑は、性格も作風の違う作家たちがそれぞれ自由に活動している感じがとても心地いいんです。作家同士の横のつながりが強い地域もありますが、南畑では過度な繋がりがなく、「南畑美術散歩」のような1年に1度のイベントでゆるく繋がっている。その自由な気風はなくならないでほしいですね。
埋金の集落から少し外れた「工房Pao」で挽きたてのコーヒーを飲みながら、柳さんとタナベさんが語ってくださった南畑での12年。作家として、いち住民として、地域と真正面から向き合ってきた柳さんたちの柔軟さは、これから移住を考える作り手たちにとっては貴重な指針になりそうです。