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INTERVIEW

君にとどけ!ふるさとへの想い

インタビューアー / (株)南畑ぼうぶら会議 柳屋あづさ

[SUMITSUKEスタッフ] 衛藤 志穂さん(写真左)/ [木花屋Bocca店主] 井上 朋恵さん(写真右)

衛藤志穂さん:南畑で生まれ育ち、結婚後に南畑を離れたものの自然豊かな暮らしや子育て環境を求めて家族で南畑にUターン。現在、株式会社南畑ぼうぶら会議において南畑移住の相談窓口業務を担当。 / 井上朋恵さん:南畑生まれ育ち、現在福岡市在住。福岡市にて地域に愛される花屋さん「木花屋Bocca」を営む。SUMITSUKEのイベントではリース作りの講師を務めるなど南畑を離れた今も木花を通じて地域との関わりを持つ。

今回はちょっと昔の1990年代にタイムスリップ

南畑生まれで南畑育ち。小さな頃から今もずっと仲良し、同級生で幼馴染の志穂さん&朋恵さん。今日は朋恵さんが福岡市内で営む花屋さんにお邪魔して、幼少時代の思い出や南畑への想いを語っていただきました。

ちなみに冒頭のプロフィールでお気づきかもしれませんが、志穂さんはSUMITSUKEスタッフ、いつもは取材する側ですが今回はゲストとして登場してもらいます(笑)

そんな二人からは子ども時代を回想する度に「楽しかったよね〜」と言うフレーズが鳴り止まず・・本当に充実していたんだな〜と羨ましくなるくらい元気に遊び回っていたエピソードがてんこ盛り!ぜひ皆様も子ども時代に戻った気持ちで読んでいただけたら幸いです。

彼女たちの90’s南畑物語、始まります。

(二人並んで写真を撮るのは久しぶり!)

―同級生で幼馴染のお二人ですが、出会いはいつ頃なんですか?

朋恵さん:いつだろう、うーん・・生まれたときからかな(笑)

志穂さん:そうね〜(笑)

朋恵さん:たぶん幼稚園に入園したときからじゃないかな〜。志穂は、寺倉(てらぐら)という地区で、私が埋金(うめがね)地区で家が違う方向だけど、私の家は幼稚園が割と近くで志穂は送り迎えしてもらってて、確かそれまでの時間、帰り道みんなで一緒に遊んでたよね。

志穂さん:そうそう遊んでた。それに当時は幼稚園の場所が今とは違って小学校の横にあったから、朋の家も近かったもんね。子ども時代は他の子も一緒によくお互いの家に泊まりに行ったりしてた記憶もあるな〜。

―30年来の付き合い!じゃあもうその頃から一緒に遊ぶ仲良しだったんですね。当時はどんなことをして遊んでいました?

朋恵さん:それが遊ぶのはだいたい地区ごとに固まるんですよ。埋金なら埋金チーム、寺倉なら寺倉チームで家のまわりとか畑とかで遊ぶみたいな(笑)

志穂さん:そう、だいたい地区でチームになるんよね。

柳屋:他の地区の友達とはあまり一緒に遊ばない感じ?

朋恵さん:南畑は子どもにとっては範囲が広いし、特に昔は学校までが遠い五ケ山(ごかやま)地区もあったから、その子たちはバス通学(※1)で下校もバスの時刻に合わせて早めに帰ってたんですよね。だから全ての地区の子が全員そろって遊ぶ場所は小学校って感じで、もし他の地区の友達と遊びたいときは、むしろ泊まりに行ったりしてたかな。

(※1 現在は廃線、昔は西鉄バスが五ケ山地区まで運行されていた。)

(たくさんの木花に包まれて賑やかに話も弾みます。)

志穂さん:あの頃って何して遊んでたっけ〜?

朋恵さん:やっぱり強いて上げるなら稲刈りが終わった後の田んぼとかで藁で基地を作るやつよね。基地でテーブルとかトイレとかも場所を決めてさ、実際にトイレも本当にそこでしてた・・(笑)

志穂さん:あんた、それは迷惑〜(笑)でも、やっぱり秘密基地は絶対よね!

朋恵さん:自分たちだけの隠れ家みたいでほんと楽しかったな〜。基地作りに良さそうな枝とかを見つけたら、「なんかこれ使えるっちゃない〜」ってみんなで話して、壊れたらまた子どもなりに自分たちで考えて改良したりしていく(笑)

志穂さん:あの頃はまわりにあるものなんでも秘密基地の材料だったよね。この木と竹を使おうとか、この藁で椅子を作ろうとかさぁ。誰に教わるとかでもなくて自然と考えて身体が動いてたよね。そうやって自分たちで作りあげていくのが楽しかったし面白かったな〜。

朋恵さん:都会にあるような公園とかは南畑にはないけど、とにかく楽しかった思い出ばっかりだよね。

―さすが自然が豊かな南畑ならではのエピソード!秘密基地は鉄板ですね(笑)

朋恵さん:後はケードロやね。わかります?「警察」と「泥棒」役に分かれて捕まえる鬼ごっこみたいなやつ。私の地区はケードロの逃げる範囲がめちゃくちゃ広くて、埋金公民館から始まってほぼ小学校のマラソン大会のコース全部。

私はガキ大将やったけん、友達に「私は逃げるけんね。警察役が私を捕まえろ〜!」って言い放って逃げまわってました。私、足も速くて、それに人の家の庭に隠れてたりしたから絶対見つからんかった(笑)

志穂さん:それは無茶苦茶広すぎ〜。都会の子どもたちには考えられないくらい広い範囲ですよ、警察役は地獄です(笑)

(今の自分は小学生に戻ったようだと話す朋恵さん。お店に訪れる子どもから大人まで多くの世代に愛されています。)

―ガキ大将(笑)・・二人とも活発な子どもだったんですね。

志穂さん:朋は本当にガキ大将でしたね、男女問わずいっつもケンカしてました(笑)私はガキ大将ではなかったけど、確かに活発ではあったかも?!。朋と同じように人の家の庭に入り込んで隠れてたりもしたけど、でも昔って地域の大人たちは全員の子どもたちのことを知ってたから、子どもを庭とかで見かけても「また誰かおるね〜」っていう感じだし、何なら私が小学校から家に帰ってきたら、先に別の子がうちのこたつに入って待ってたりしてたし、今思うと自分の親だけじゃなくてご近所さんも含めて地域全体で大人たちがいつも子どもたちのことを暖かく見守ってくれていた気がしますね。

朋恵さん:ほんとだよね。逆に地区の子どもたち全員のことを知らない大人の方がおらんかったんじゃないかな〜って気がするよね。

―大人が地域の子どもたちと顔の見える関係になっているのは安心ですよね。地域みんなで集まる機会も結構多かったんですか?

朋恵さん:南畑はそういった集まりは地区ごとにあってますよね。埋金地区は祭りや運動会とかいろいろイベントがあって、その後にはいつも大人も子どもも公民館に集まってバーベキューとかして地域のみんなでご飯食べてたなぁ。そして子どもたちは食べ終わるとみんなでケードロ(笑)。そうやってみんなで顔をあわせる機会が多いから、全員がそれぞれのことわかってましたよね。逆に知らん人がおってもすぐわかる(笑)。だから地区の子どもたちが遊んでる時に人の家の庭に隠れてても怒られずに、きっと大人たちもそうやって見守ってくれてたと思う。

志穂さん:そうよね〜。同じように私の住んでる地区も祭りとかその後の打ち上げとかもあっていて、地区内でほとんど知らない人がいなかったから、やっぱり顔を覚えるいい機会になっていたと思います。集まりの時は大人はずっと飲んで食べてたけど、子どもたちは食べ終わったらケードロとか缶蹴りとかいろいろな遊びをして、あぁやってみんなが集まるのは、ほんと楽しかった記憶として残ってますね。

朋恵さん:そうそう、私、今のこのお店でも大人でも子どもでもみんな敬語も使わんで、南畑のおじちゃんおばちゃんたちと話してるノリで話すから、なんかお客さんたちからも親しみやすいって思ってもらえてるみたいで。南畑だと子どもの頃から近所のおじちゃんおばちゃんたちがめっちゃ声かけてくれて家族みたいに気軽に話すから、そういうコミュニケーションの取り方も影響受けてるな〜って実感する。

(朋恵さんのお店はこの看板が目印。)

(お店の入口にはウェルカムフラワーが飾られています。)

(お店にある黒板は子どもたちがお絵描きをして楽しむコミュニケーションツール!)

―地域のみんなが集まって楽しく過ごす機会があるのは素敵だなと思います。そして、地区の集まりごとが、大人も子どもも自然と顔の見える関係性を作ってくれるコミュニケーションの場になっていたんですね。
じゃあ、小学校での印象に残っている思い出は何かありますか?現在の南畑小では、田植え体験はもちろん地域の作家さんたちを講師として迎え制作体験や地域を巡る校外学習も積極的に行われています。

志穂さん:小学校で言えば、私たちの頃は学年に2クラスで多分200人ぐらい全校児童がいた時代だから、お昼休みのケードロのために、ものすごい勢いで給食を食べて陣取りに行くのに必死だったのを覚えてますね(笑)センダンの木の周りが人気の場所でみんなで取り合い!

朋恵さん:体験授業だと、私、コンニャクを茹でたの覚えてますね。講師というか確か近所のじいちゃん、ばあちゃんたちが学校に来てくれて、子どもたちは「コンニャク」か「わらじ」か「竹とんぼ」か選んで習うみたいな。あとは校外学習ではウォークラリーも楽しかった!

志穂さん:そう言われると、なんか竹とんぼ作ったような気がするなあ〜。ウォークラリーは冒険みたいで楽しかったよね〜。

朋恵さん:あとはやっぱり小学生の頃は毎日毎日が大冒険だったな〜って印象ですね。思い出すと楽しい事だらけ。遊びも子どもたちだけで勝手に色々やってて、自然も川も岩場も、今だったらそんな場所で遊んだら危ないって言われるような遊びもあったと思うけど、昔はそれが当たり前でほんと思いっきり遊んでた。

志穂さん:ほんとそうだよね。でも、そうやって自由に遊んでたからこそ、今でも地元が南畑の人は南畑の中でも蛍がたくさん観れる場所とか、魚が取れる場所とか、川遊びはあそこがいいとか色々隠れスポット知ってるよね。あとは、逆にと言うか、子どもなりのやんちゃをした分、例えば、どこまで何をやったら危ないとか、こういうことはしたらダメとか、小動物や虫に触れて命の大切さを知ったり、無意識のうちにいろんなことを学んだり身についていった気もしますね。

(お二人が楽しかった小学校の思い出話が次から次へと。始終笑いの絶えないインタビューでした。)

―楽しいことだらけだった子ども時代なので、南畑から出たいと思わなかったのでは?

朋恵さん:そんなことないです、出たいですよ〜(笑)、都会への憧れあったよね〜。それでも、私は南畑への愛はしっかりあったけど・・特に志穂は出たがってて、高校生になったときは「もう田舎すぎて恥ずかしい!」っていつも何かあるごとに言ってた気がする(笑)

志穂さん:そう、私は特に出たい気持ちがめちゃくちゃ強かったです(笑)

朋恵さん:面白いエピソードがあって、高校時代に志穂の高校の友達が南畑の川に遊びに来たときがあったんですけど、帰るときに親か誰かが友達にお土産で玉ねぎを渡してたんよね。南畑では普通なんやけど「お土産に玉ねぎって!!」って(笑)

志穂さん:も〜ほんと恥ずかしかった、田舎もん丸出しやんって(笑)私は福岡市内の都会の高校に進学したから、友達もほとんど都会の子たちだったんですよ〜。だから、もうお願いだから玉ねぎやめて〜って!(笑)その頃からとにかく都会への憧れが強くて早く出たいって思ってました。大人になって他の地域に住んでたときも全然戻ろうとか考えてなかったんです。正直、ほとんど南畑のことを忘れてたくらい・・。

(地元の多くの方から慕われる志穂さん。「SUMITSUKE」にはなくてはならない存在です。)

―そんな志穂さんが南畑に戻ってくるなんて!(笑)やっぱり幼い頃の楽しい思い出が沢山あったんでしょうね。

朋恵さん:ほんとですよ、まさか志穂が(笑)私たちの中で1番田舎を嫌がってたから。

志穂さん:(笑)・・。都会に出て、結局子育てするなら子どもたちがのびのびできる環境がいいなぁと思っていたときに、いろんな状況も重なってちょうど長男が小学校入学するタイミングで南畑にUターンしました。今振り返ってみても、そういう考えになったのは、やっぱり自分が南畑で育ってきたことがすべてに影響してたなぁってつくづく感じますね。結果的にも子育てでも日々の暮らしでもほんとに帰ってきて良かったって思うことがたくさん。

朋恵さん:私も志穂のように子どもがおったらやっぱり田舎の自然の中で子育てしたいなぁ。うちの店の前が公園なんだけど、ボール遊びしたらいかんのよ。小さい子どもが遊びにきたり、近所の建物のガラスが割れたらいけないという理由かもしれんけど。この前も中学生の団体が遊びにきてサッカーしてたんだけど、出来ない理由を優しく説明したのに、また次の日に来てサッカーしよって怒って注意したんよ。「ごめんけどさぁ、この公園ではボール遊びをしたらいかんけん。あんたたちには悪いって思ってるけどさ。他のボール遊びできるところでやってくれんかいな」って。

でも、注意した後に、本来、公園って遊ぶ場所だよなぁって。なんかこの子たちも可愛そうだなと思ったんよね。うちらはボール遊びがいかんとか言われたこともないし、のびのびと遊んでたのに・・。都会は公園で遊ぶのにも制限があるんだなぁと感じましたよね。だから、都会の子は遊ぶことにしても「〇〇していいと〜?」って確認が必要なんよね。南畑で自由に遊びよった自分が大人になってそうやって言わないといけないのは複雑な気持ちでほんとは思いっきり遊ばせてやりたい。

だからかな、志穂の子どもをみているとやっぱり田舎の子だなぁと思う。気づいたら勝手に人の家の田んぼでオタマジャクシつついてたりしてるもんね(笑)もちろん都会には都会の良さとかあるし都会だからのびのびできないってわけじゃないと思うけど、南畑で育った私にとっては田舎と都会のギャップを感じるなぁ。

(朋恵さんのお店の目の前には子どもたちが集まる公園があります。)

志穂さん:私も朋の気持ちはよくわかるなぁ。子どもたちを見ると本当に自由にのびのびと育ってる気がするもん。

朋恵さん:それに、南畑を離れて別の地域に家を建てた友達と話すことがあるんやけど、「やっぱり帰ることができるなら南畑に戻りたい〜」っていう人結構おるよ〜。私はこの場所で商売があるから帰らないけど。でもやっぱり南畑はいいところだよなぁとか思うよね。カエルの鳴き声の中で寝たいなぁって(笑)

柳屋:カエルの鳴き声の中で?!

朋恵さん:実家は周りが田んぼだったから梅雨から夏の頃は、もうカエルの大合唱。冬は家の中でも息が白くなるくらい本当に寒かったし、夜は電気を消したら真っ暗で無音の世界。昔は当たり前やったけど、そんな環境のひとつひとつに癒されるよ〜。いま住んでいる場所は夜でも救急車やパトカーの音がガンガン聞こえるから真逆。

―二人とも南畑から離れてみたからこそ、いろいろと見えてきたものがあるのかもしれませんね。

朋恵さん:そうだよね。でも、今は南畑から離れて暮らしているけど・・南畑は家も増えてるし、自分が知らん人がいっぱい増えたなぁ。以前はみんな知ってる人ばっかりだったのに、知らない人が増えていくのは寂しいようで複雑な気持ちやなぁとか、南畑変わらんで欲しいなぁと思うことも正直あって・・。その話を昔から知ってる南畑のおいちゃんにしたら「そんなんことないぞ〜」みたいな感じで言われて、その時に「ああ〜それは良いことなんやな〜」と気付かされた気がして。よく考えたらさ、今も住んでいる地元の人にとっては、南畑が地域として元気に存続していくには移住してくれる人も増えた方がいいしね。

志穂さん:そうよ。やっぱり人が少なくなって、6年前は小学校の児童数が70人まで減って小学校が廃校になりそうな状況に向かっていたけど、今では100人を超えるところまでになってきたけんね。移住者の人も地域との関係性を大事にしている人が多いし、地元の友達もUターンでめっちゃ戻ってきよるんやけん。それも嬉しいことだなって思う。

朋恵さん:志穂は同級生の中でも一番田舎がコンプレックスで大嫌いって言ってたのに。そういう彼女が田舎を盛り上げようって頑張っているのが嬉しいなぁと思いますよね。自分も仕事の関係でちょくちょく南畑に行った時に志穂や南畑に戻ってきた友達に会えていろんな近況を話したりできるのもすごい嬉しいし、志穂が私の居場所を守ってくれる(笑)

―朋恵さんには、以前、SUMITSUKEの移住イベントで南畑の木花を使ったリースづくりの講師もしていただきました。また機会があれば是非お願いしたいです。

朋恵さん:よく南畑の友達の山で花材を分けてもらってお店で出していたり、藁をいただいて仕事に使わせてもらったりと南畑には常に関わってる気持ちでいるし、今はお店がひとりだからなかなか自由が効かないけどいつかまたお手伝いできたらいいですね。

それに、地元との関わりといえば、うちの店で南畑のお米を販売したんですよ。以前、南畑のお米が献上米で奉納されたというのがニュースであったの知ってます?それを見た近所に住んでいる常連さんで、元々那珂川市出身の方が「どうやったらそのお米を購入できますか?」って聞いてきてくれて。その献上米の田んぼのおいちゃんは知り合いやったけん、お米を買いたい人がおるって連絡したら「売っていいよ〜」って言ってくれて、ここで地元のお米を販売しました(笑)。南畑は楽しい思い出の詰まった私の大事なふるさとだから、やっぱり地元の米を自分の店で売れるのは嬉しかったです。

(SUMITSUKEの移住イベントでリースづくりの講師を務める朋恵さん)

(人気のカメのしめ飾り。南畑産の藁です。)

(たくさんの木花に包まれた店内。タイミングがよければ南畑の木花に出会えるかも?!)

―地元に住んでいなくても南畑に関わる色んな方法があるんですね!地元に対して想いが強いのも南畑で過ごした子ども時代が大きく影響しているような気がします。最後に今大人になったお二人に南畑に住んでいる子どもたちへメッセージをお願いします。

朋恵さん:きっと大人になったら南畑の思い出が楽しく思えるから、今は思いっきりいっぱい元気に遊んで育って欲しいって伝えたいかな。ほんとに私は今振り返ると楽しい思い出しかないもん。ほんとに南畑で育って良かったな〜って思ってて、親にも「こんな環境でこんな風に育ててくれてありがとう」っていつも言うんよね。

志穂さん:多分、私たちみたいに田舎が嫌で都会に出たいっていうときが来ると思うんだけど、でも、今この南畑でいろんな経験、体験していることは絶対に良いことだからねって!もちろん迷惑かけるようなことはダメだけど、いい意味での多少のヤンチャというか・・子どもの頃しか出来んこともあるし、でもそうやっていろんなこと学んだり、いろんな感性が自然と育っていく環境が南畑にはあるからねって伝えてあげたいですね。

志穂さん&朋恵さん:思いっきり遊んで!そしてたくさん楽しんで!きっと大人になった時、絶対良かった〜と思うはずだからね!

(素敵な笑顔!お二人の子どもの頃が浮かんできそうです!)

お二人の世代だともしかしたら子どもの頃はゲームっ子だったのかなぁとか思ってたんですが・・・。

やっぱりそこは南畑っ子、自然の中で遊ぶことが1番の楽しみだったようですね。

子ども時代を回想する二人の表情はまるで小学生に戻ったかのようで、インタビュー中に思わず私の方が「志穂ちゃん、朋ちゃん」と普段とは違う呼び方で呼んでしまいました(笑)いつの間にか、私も二人の思い出の世界に入り込んでしまっていたみたいです。

もちろん、都会にも田舎にもお互い良いところや大変なところもあるけれど、子どもの頃にしかできない体験を思いっきりやり切った二人の言葉を子どもたちにもしっかりと伝えていきたいですね。それに、南畑は懐が深いって言うんでしょうか。地域と子育ての関係性においても、住んでいる人の大らかさや優しさが溢れているような気がします。地域みんなで子どもたちを見守る、それは、今、大人になった志穂さんたちにもしっかりと受け継がれています。

二人にとっての宝物が、同じように、今、南畑で育っている子どもたちの宝物になってくれるといいなと思います。

朋恵さんのお店はこちら。タイミングが良ければ南畑の木花に出会えるかもしれません!
木花屋ボッカ KIBANAYA Bocca
〒814-0103 福岡市城南区鳥飼6-12-11敬愛ビル101  鳥飼南公園横
定休日:木曜日
https://www.instagram.com/kibanaya_bocca/