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INTERVIEW

農と人、地域の未来を育む関係。

インタビューアー / (株)南畑ぼうぶら会議 柳屋あづさ

[農業] 藤森陽介さん/めぐみさん

2019年那珂川市にて就農し2020年ふじもり農園を設立。 自然薯をメインとした根菜類を中心に栽培。主にカワセミの里、ゆめ畑で販売している。モットーは「顔の見える生産者」

「よかったら食べてくださーい!」

箱いっぱいに南畑の大地で育ったジャガイモを持ってきてくださった藤森陽介さん、めぐみさんご夫婦。
日々、ご自宅のある福岡市から南畑まで通い農業をされています。陽介さんは、もともとはネクタイを締めて博多駅前まで通勤する普通の会社員でしたが、農業を始めるために思い切って脱サラされた経歴をお持ちです。もちろん、お二人がその決断に至るまでには大変な葛藤があったそうです。農業を始めるまでの経緯や農業に対する想い、農家目線で見た南畑の魅力など、お二人に思う存分語っていただきました。

そもそも、農業をはじめようと思われたきっかけはなんだったのですか?

(陽介さん)農業をしたいと思ったのは、ひとことで言うならサラリーマン生活に疲れていた自分がいたからですかね。サラリーマン時代は、手前味噌なんですが成績もそれなりでやりがいを持って働いていたんですが、その代償として出張で何日も家に帰れない日が続くなんてことはザラでしたし、いつも早朝から夜分、休日でさえ持ち帰り仕事をしていて「いつまでもこんな働き方は続けられない。」と強く感じていました。

そんなとき、興味本位に地元の友達の畑に行って、トマトの収穫作業を手伝ったんですが、「こんな美味しいトマト食べたことがない!」とその美味しさに本当に感動したんです。それから食の大切さや土に触れる農業という仕事に意識が傾き始めました。

忙しいくせに週末農業も始めて、基本は草むしりくらいしかできないんですが、たまに何かの野菜が採れたりすると嬉しくて、余計に「これを仕事にしたい」って。就農への憧れや想いは強くなっていく一方でした。そのたびに「あぁ、やっぱり土に触れる仕事っていいなぁ。」と心から感じてたんですよね。

あとは、正直、ちょっとミーハーなノリもありました。脱サラで”農のある生活”とか、そんなストーリーやスーツでじゃなくて「好きな服を着られるなぁ」とか(笑)

なんと!普通のサラリーマンだったんですね。「仕事をやめて農業がしたい」と相談があったとき、めぐみさんもびっくりされたでしょう?

(めぐみさん)初めて話を聞いたときは反対、いや、大反対でした(笑)

私の実家は那珂川市内で小さな飲食店を営んでいるのですが、そんな家庭で育った私にとって、脱サラって、飲食とか物販といった、小規模な投資で始められる商店のようなイメージだったんです。農業みたいな一次産業って、一般的に実家を継いでやるようなスケールの大きなものだと思っていたから「本格的な経験ゼロのあなたが新規就農なんて現実的じゃない。無謀でしょ?」って、はっきり伝えました。

しかもその当時、私はお腹の中に1人目の子どもを授かっている最中で、女性なら共感していただけると思いますが、とにかく守りに入りたい気持ちが強かったんです。ただでさえ、はじめての出産からくる将来的な不安が強い中で、働き方や経済的な事情がガラッと変わってしまうということを考えると…。不安要素しかなくて絶対に賛成できませんでしたね。

だけど、一方では、私自身がなにも理解していないまま、夫の想いを無下にするのは良くないなっていう気持ちも心のどこかにありました。だから、しっかりと情報共有したうえで判断しようと考えて、夫と一緒にJA主催の農業のセミナーに参加したんです。そこで言われたのが「農業をするなら、家族の賛成と協力が必要」という内容だったわけですが、結果的に私の結論は変わらなかったですね。当時の私は、やっぱり経済的な面で頭がいっぱいで、設備投資の費用とか、現実的なことを考えると絶対に無理だと思ったからです。でも、本人はまだまだ諦めがついていなくて・・、セミナーのときに提案された週末農園だけすることになりました。

この話が、後にサラリーマンを辞める2~3年前とかの話なので、そこからが長かったですよ。ときには離婚問題にも発展しましたし(笑)ある時からは、「話すと喧嘩になるから言わないけど、想いはずっと持っている」ということだけは伝えられているという、いわゆる休戦状態になっていて、夫としてはもどかしい期間だったかもしれませんね。

そんな状況から気持ちが変わった経緯は?

(めぐみさん)2人目の妊娠がわかった頃「これから家も手狭になるし、フルタイムの共働きだったので実家に近い方が色々助かるね。」という話になって、新しい家を探し始めたのですが、住まいを探すという行為を通じて”これからどう生きていくのか”ということまで考えが及ぶようになりました。都心部の家は高額すぎて手が出ないから、例えば、どこかの郊外に家を買うと仮定して。ローンを返済していくにはサラリーマンとしての収入が欠かせなくなる。ということは、会社が遠くなろうとなんだろうと、時間を割いて通勤しなければいけない。ただでさえ多忙な夫は、今よりもっと家にいられなくなる…。あれ?家族の豊かさのためにマイホームのことを考えているのに、これはなんだかおかしいね、って。そんな感じで、ああだこうだと答えのない迷路を進んだ先には”農業”という忘れられない選択肢が待ち構えているような感じでした。私も過去に反対したものの、夫の本気は伝わっていましたから。

(陽介さん)当時、仕事を頑張ってきた甲斐があって、それなりの収入は確保されていました。だけど、それに比例するように家に居られる時間は極端に少なかった。当時の生活といえば、高カロリーなランチに付き合いのお酒、なにもかもが典型的なサラリーマンでした。お腹も出ていましたね(笑)この先も、時間と個性を代償にするように仕事を続けて、それを頼りに家を買って、住宅ローン完済をしていくという未来を想像してみたとき、自分は「そうなりたい」とは思えなかったんです。だからこそ、もっと根本的に生活を変えたいと思いました。カメラや写真を扱う仕事は好きだったし、これまでのキャリアを認めてくれる人たちから色々な誘いもあったけど、どうせなら僕は、農業に進みたかった。

(めぐみさん)結果的には、私が勤めを続けることで家計のリスクを半分にしながら、夫は農業を仕事にするということに決めました。ただ、失敗するかもしれないという覚悟は、初めから持っておこうと考えていました。だから「農業がうまくいかなかったら、すんなり会社員に戻れよ。」と(笑)あと、ぶっちゃけ最後はつわりがキツすぎて、議論する体力もなくなって、半分投げやりだったかもしれません(笑)

(陽介さん)そうそう、僕はすぐに退職届の書き方を調べましたね(笑)自分もダメなときは、会社員に戻るという考えはあったんですが、妻が一定の理解をしてくれたことで、しっかりと覚悟ができました。生活していかなくてはいけないから、背に腹は変えられないですしね。

(めぐみさん)条件付きだし、やや勢い任せな部分はあったものの、思わぬキッカケから、家族にとってどうあることが本当に幸せなのか?ということについて、真剣に考える時間を持てたことで、初めて、農業という選択肢に前向きな気持ちになれたのだと思います。いまより経済的に苦しくなったとしても、いつも家族が一緒に居られて、ノビノビ明るく過ごせる環境を手にすることの方がよっぽど豊かなんじゃないかな、って。

まるで農の世界に引き寄せられたようなエピソードですね。しかも今では、奥様も一緒に農業をされているとか?

(めぐみさん)はい。今では私も会社をやめて、毎日ではありませんが夫と一緒に農業をしています。農業をはじめた夫が、あまりにも活き活きとしているから、単純に羨ましいじゃないですか?会社員時代は月末や長期出張の時とか死んだ魚のような目をしていたくせに(笑)もちろん、体力的には相当キツイはずなんです。だけど、それ以上に自分の中に溜め込んでいた知識とか想いみたいなものを、実践していくことができる喜びで、溢れているように見えました。実際、日を追うごとに、農家として、人としての価値観がどんどん確立されていく様子を目の当たりしてきましたし、私たち家族もそんな夫の姿勢や価値観に大きく影響を受けていきました。

(陽介さん)リアルな事情まで話すと、野菜って生産量を拡大していくのに1人では限界があるんですよ。ざっくり言うと、僕は無農薬っていうポリシーを貫いて生産をしてるのですが、畑が小さいこともあり畝の仕立てや売り方とかも含めてかなりの手間暇をかけてます。実際、そこに共感して野菜を買ってくれる人たちが有難いことにいてくれて、今は少し生産量が足りていない状況です。

農法へのこだわりや理念、販売方法などについて、もう少し詳しく教えていただけますか?

(陽介さん)まず、メインで作っているのは芋類・根菜類です。うちのエースは自然薯ですね。芋に特化している理由としては、貯蔵性が高いということ、葉物など他の野菜に比べて無農薬で作りやすいということ。自宅から30分かけて南畑へ通ってきている自分にとっては、一気に収穫して一気に販売するより、旬の野菜を旬の期間に販売していくというルーティンの方が合っていますし、自分の農業理念とも重なるというのが、南畑で過ごした3年間で試行錯誤してきた上での結論です。

僕の理念っていうのは”無農薬であること=旬を大切にすること”です。旬の走り、盛り、名残りまで、畑も芋も状態は変わるし、手間暇はかかる。採れる時期も極端に限られるけれど、より自然なことと思っています。循環農法とうたって、オーガニックな鶏糞(おとなり西畑の金太郎鶏)や色々な植物性有機物など使ってますが、今は農業の枠を超えて様々なモノやコトが循環しています。目先の売上よりも、身体に良い野菜を、1年後、3年後、10年後と、食べ続けてもらえる野菜作りをすることで、お客さんとの信頼を築きたいと考えています。いくら口で美味しいって言っても絶対食べてみないとわからないから、いつもジャガイモとかを配ったりしてて、あまり売上は伸びてません(笑)だけど、配ったり、販売するときには極力実際にお会いして、栽培方法や自分の想いを伝えることを大切にしています。その中で共感してくれた人たちは、次にまた買ってくれたり、誰かにそれを伝えてくれたり、贈ったりしてくれる。1人のお客さんの行動が10人の共感を呼んで、10人が100人にって。そうやって、持続的なお付き合いができるお客さんが増えていきました。

—そういえば、先日、博多駅で南畑の野菜を販売するイベントがあったのですが、藤森さんの自然薯めがけて買いに来る人がいらっしゃいました。きっとその方もどなたから美味しさを伝えてもらった一人だったんでしょうね!

(藤森さん)そう言ってもらえると嬉しいですね。実際、農業ってキツイこと大変なことも多いですが楽しい。ホントに楽しいんです。それは買っていただいたみなさんから多くの「ありがとう」の声があるからなんですよ。本当ならば、自分の方が買っていただいて「ありがとう」と言う立場なのに。それが逆に「美味しい野菜作ってもらってありがとう」と感謝してもらえる。こんなに人に感謝してもらえる素敵な職業はなかなかないですよ。南畑で始めた新規就農。本当に今があるのはこの南畑地域のみなさんが自分を支えてくれ、いろんなご縁がつながったおかげです。

SNSやホームページを見てもセンスが良いし、お芋のロゴが印象的ですが、オンラインの方はいかがでしょうか?

(陽介さん)少し話が逸れますが、”イモ”って言葉、田舎とか鈍臭いとか、そういう意味合いの一面があるじゃないですか?ふじもり農園のロゴは、それをあえてカッコよく見せたいなと思って、オシャレすぎず、でも今っぽく。ちゃんと自分のキャラクターや雰囲気が伝わるように時間をかけて作りあげました。そんな感じで、リアルを大事にしながらホームページとかSNSも含め、オンラインの世界を無視しているわけではないし、しっかりとブランディング戦略も練ってます。

(ふじもり農園のホームページ)

(ホームページ内の商品紹介ページ)

だけど、最終的には、どこに重きを置いているかということなんですね。僕はあくまで”顔の見える生産者”であることを最も大切にしていますから。以前、ホームページを見てくれた、とある東京の法人さんから「今ある分、全部買います」ってお話をいただいたのですが、それだと地域の人たちに食べてもらえる分がなくなってしまうので、とても有難い話なんですが思い切って断りました。正直、すぐに売り上げは欲しかったし経営的には間違いなく痛い決断でしたよ。だけど、藤森農園を支持してくれるお客さんたちの期待を裏切ってしまうと、この仕事は続けることができないんです。なので、身近なお客さんたちに満足いく量を届けながら、大きなビジネスチャンスにもしっかりと対応できるように、生産量を増やしていくことが直近の課題ですね。

農業って、生産者とお客さんが直接的に関わるイメージはありませんでしたが、実は真逆なお仕事なんですね

(陽介さん)そう!間違いなく、これが農業の人々の生活の原点だと思います。僕の場合、理念に共感してくれているお客さんは、例年よりサイズが小さかったり、形が悪かったりしても、「ふじもり農園の野菜だから」と言って買ってくれるんですね。むしろ、「あの人にも送りたいから」と言って多めに買ってくれたり。本当にありがたいですよ。会社員時代、上司から「組織力や商品の魅力だけで買ってもらうのではなく、”藤森商店”のお客さんをつかまえるような仕事を心がけなさい。」と指導されてきました。その教えや考えは、この仕事でも全く同じように大切にしています。

(めぐみさん)本当にそう思います。私もはじめは理解できていなかったのですが、地域の皆さんの安全を支えようとする夫の仕事ぶり、それを応援してくれる方々を見て、農業ってこんなにも地域貢献ができる仕事なんだ驚いています。本当に尊く、魅力的な仕事だなと。だからこそ、私も会社を辞める決断ができたし、同じ仕事をするようになってからは、より夫の価値観に考えが追いついてきた感じです。脱サラを反対していた頃と比べて、夫婦で共有できる悩みや喜びが圧倒的に増えて、私自信、なんだか夫に優しくなれています(笑)

いやー、目から鱗です。ちなみに、純粋に耕作地として見た場合の南畑はどうですか?

(陽介さん)正直、かなり厳しい条件だと思います。中山間地域ですから、日照時間も短いしイノシシや猿も多い。生産量を増やそうにも、棚田が多くてそもそも広い畑が残っていない。他にも、作土が浅くて石も多い。それを耕しながら取る手間とか色々あります。だからと言って、その土地を使うにあたっての負担は他の地域と比較して軽いわけではなく、草刈りも多くてむしろ重い方だったりもしますからね。

そんな悪条件にも関わらず、なぜ南畑を選んだのですか?

(陽介さん)南畑に畑を借りたのは、農家になることが決まった後の数年間、唐津の農業研修に参加していた頃なのですが、そこに行き着くまでにも紆余曲折ありました。僕は糸島が地元ですから、初めは糸島で畑を借りていたんです。その畑は、自分が産まれ育った地域にあったので、知り合いも多くて、地域の皆さんも優しく接してくれました。畑自体も、地元の友達が紹介してくれた土地で、契約っていうより口約束で使わせてもらってるような感じでした。一言に、苦労がなかったです。あまりにも色々なことが簡単に進んでいきましたから。だけど、僕が農業をするにあたって周囲が”優しく見守ってくれる”っていうのと、”真剣に応援してくれる”っていうのは全く別の話でした。自分自身、理想や想いはある一方で、時間を作れず、見事に草刈りしかできていない日々だったのですが、それに対して厳しい目を向けてくる人も、きつい言葉をかけてくる人も当然いなくて、ただただそこから抜け出せず、悶々としていました。

転機は、農業研修を始めて1年が過ぎた頃、バイク通勤中に交通事故に遭ったことでした。全治3ヶ月ほどの大怪我で、長い入院生活でしたけど、ようやく立ち止まって色々なことを考えられる時間を得られたんです。そんな中、身体のこと、家族との将来のこと、そして農業のこと、今までも真剣なつもりだったけど、それにも増して本気で深く向き合う覚悟が芽生えたような気がします。まずは、少しでも自宅から近いところに畑を持たなければ、時間的にも体力的にも、農業で食っていくことはできないと考えました。ガラッと意識が変わりましたね。実は当時、週末は南畑の知人の農園にしょっちゅう出向いていて、南畑の自然風景と自宅がある都心部からの距離感に、大きな魅力を感じていました。妻の実家もありましたし、家族にとってもいい場所だなと。

最終的には、週末の南畑通いで築いた小さな繋がりをきっかけにご縁をいただいて、ある畑を契約させていただきました。地元の友人達からは「なんで那珂川?糸島に知り合いもたくさんおるんやけん、こっちでやればいいやん!」って、よく言われていましたね。だけど、僕の中では「ここからやってやるぞ。」っていう気持ちが高まっていたし、生産者や知り合いの多い糸島では自分の想いも埋もれてしまうような気もしていたので、初めて自分の力で手にした畑を前にして、心の底から「自分の畑だ」って思えたことが、今までとは全く違う感覚でした。そういう気持ちの部分が決め手だったかもしれないですね。

実際に始めてからは、いかがでしたか?

畑を借りた後、公民館で説明会もさせてもらったんですが、初めは「誰だ?ほんとに大丈夫か?」っていう空気しかなかったですね。だけどこれは南畑が悪いわけではなくて、見知らぬ人間がいきなり現れて「ここで農業やります。無農薬がポリシーです。」って理想染みたことを語ったって、それはどこの地域でもそういう空気になりますよね(笑)実際、直接的に風当たりの強い言葉を投げられたこともありました。正直、その頃は辛くて「糸島でやってたら、こんな想いはしなかっただろうな。」なんて、心が揺らぐ瞬間も沢山ありました。

だけど、やれることをやるしかないから、まずは自己紹介をしながら、会う人全員にお名前を聞くようにしました。野菜を配るようになったのもこの頃からです。「藤森と言います。南畑にきて初めて採れた野菜です。直売所で売っているので、美味しいと思ったら、今度ぜひ買ってください」って。

そうそう!僕は写真を撮ることをライフワークにしていて、南畑美術散歩(※南畑毎年恒例のアートイベント)のカメラマンの仕事をいただいたのですが、あれには本当に感謝していますよ。ちょうど就農一年目の初めての収穫時期でした。地域への影響力が強い作家さんのところを色々周らせていただけたので、作家さんや地域の人たち、そこに来ているお客さんにもどんどん自分をアピールしました。

そんなこんなで少しずつ顔と名前を覚えていただいて、2シーズン目には”それなりに藤森農園の存在を認知してもらえたな”という感覚が自分の中にありました。「なんかあったら俺に相談しろよ」と言ってくださる方が現れたり、実際にトラクターを譲っていただいたり。やっぱり必死に行動で示すことが出来たからこそで”本気”が伝われば、その気持ちを思いやってくださる方々が南畑にはたくさんいらっしゃると実感しました。そこからは、急加速するように、南畑の空気に自分の存在が溶け込んでいくようでした。

そして、今シーズン3年目。おかげ様で”自分らしい野菜を作れば、ある程度は人に食べてもらえるだろうな”と言う自信が生まれてきました。だから、今がちょうど「南畑でよかったなあ」という喜びを最も噛み締めている時期なんです。「糸島だったらこんな風になれただろうか?」って考えると、正直難しかったかもしれません。農業を志す人も多くて、コミュニティも成熟している。もしかしたら、南畑で感じた悔しい気持ちとか、苦労をすることはなかったかもしれないけど、自分の意識も「今と同じレベルで取り組めたか?」と言われると、正直わからないです。良い意味で”まだまだ余白のあった南畑”だったからこそ、自分の存在感を強く売り出すことができたし、そのモチベーションがより高まったということは間違いないと思います。

最後に、今後南畑での農業でやってみたいこと、望むことを教えてください。

(陽介さん)少し話が飛躍しているように聞こえるかもしれませんが、僕はこの仕事を通じて、農業に限らず、南畑産業の地産地消を活発化させたいと思っています。それぞれが持つ能力を、南畑の中のために使うことを第一優先に考え、それが南畑の中で循環するようになれば、自然と地域経済が育っていくし、皆が南畑での生活を楽しんで、豊かになれるはずだと信じているんです。僕自身、野菜で得たお金で、南畑のお米を買いますし、いつもお芋をくれるお礼にと、物々交換が起こることも珍しくありません。ここでは、そんなことが当たり前なんですよね。無料で名刺を刷っていただいたときは、流石に驚きましたが(笑)これって、戦後初期の頃の日本文化ですけど、まさに地域経済の循環だし、持続可能な未来だと思います。

南畑の子どもたちを見ていると、市街地の子どもたちとは比較にならないくらいたくましく感じるし、コミュニケーションの仕方一つとっても、びっくりするほど自立していますよ。このフィールドで感じたことを、考え、実践して、無意識に育んできた能力なんでしょう。
そんな将来性豊な彼らが大人になったとき、この場所を出ていかなければ生活ができない状況って理想的ではないと思うんですね。だからこそ、南畑自体が、もっともっと経済的に自立していけたらなぁと思います。今は、自分が収穫する分だけで終わってしまうから難しいのですが、将来的には、子どもたちに農業体験をする機会を作りたいと考えています。農業というフィルターを通して、地域経済や地域貢献について深く考えられる人材になってほしいし、柔軟な思考を持つ彼らなら、もっともっと良いアイデアで、南畑を支えていってくれると思うんですね。

(めぐみさん)夫がそうだったように、経験のない人が農業を始めるっていうこと自体、かなりハードルが高いんです。地域の未来を見据えたときに、若手農家を呼び込むことは絶対に必要ですし、そのためには行政や地域のサポートを受けられるような仕組み作りが必要だと思っています。具体的には、地元農家の皆さんによるご指導やご協力にはじまり、地主さんを含め、農家さんが引退する際には、その土地を若手の農業者に引き継いでいけるような風習が育っていくといいなと思います。農地が農地のまま残っていくことは、南畑の美しい風景を保つことにも繋がると思いますから。

(陽介さん)そうだよね。そのためには、何度も言うように農業人口を増やして、南畑の農地で多種目の野菜が栽培されるようになっていくことが大切です。南畑の直売所には、南畑のものだけが並ぶような未来が理想ですね。

 

終始「農業は人」という想いを、熱く語ってくれた藤森陽介さん・めぐみさんご夫婦。ふじもり農園の野菜を選択することは、南畑の良き未来と自身の健康に繋がっている。そう思うだけで、より一層魅力的に思えますね。お二人の真摯な取り組みが、この先の南畑の未来を明るく照らしてくれているように感じました。

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