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INTERVIEW

6年越しの移住。ひとつひとつ楽しむ、不便さと、豊かさ。

インタビューアー / 福岡R不動産

[造園業] 曽根岡 裕史さん / 紀子さん

夫婦で造園業を営む。一人娘のさわちゃんは、現在7歳で小学校1年生。福岡市南区から那珂川市松木に移り住み、それから南畑地区で土地を探して一軒家を建てた。移住して、4年目。

小さいころからご両親が転勤族で、定住とは無縁だったご主人の裕史さん、どこかに家を建てて棲みつくことに初めは少し不安を抱いていた。春、夏、秋、冬。南畑に何度も通い、土地を探しながら、地域の雰囲気を見極め、移住を終えるころには6年が経っていた。木の香りがする天井の高いリビング、広い庭には手作りの物干し台と木製遊具。時間をかけてゆっくり築き上げた生活は、だれもが羨ましくなるような里山の暮らし。そして、今ではすっかり地域の一員となっている。お宅に伺うと、薪ストーブでアップルパイを焼いて出迎えてくれた。
(以下、文中「那珂川町」は取材当時、現在は「那珂川市」になります。)

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今日はありがとうございます。とても素敵なお家ですね。南畑での生活を始めて4年目ということですが、移住までの経緯をお聞かせください。

裕史さん:那珂川町の中心部に近い松木(まつのき)に住んでいました。仕事柄、車移動であちこち現場に行くので、那珂川町は福岡市や春日市、大野城市、佐賀県など、とにかく動きやすいです。このアクセスの良さを維持したまま、仕事のための広い土地や倉庫が確保できる場所を町内で探していました。妻は住宅が密集しているところより、田んぼの中の一軒家がいいと。そういう話に引っ張られたのか、だんだん自分も自然に囲まれているところがいいなと考えるようになってきて。南畑で物件を探しながら、おじいちゃんおばあちゃんと話して、地域もリサーチしていました。話してみると、みんな元気で優しい方々。そして、なにより水、空気がとても良い。実際移住してみると、井戸水で入れたお風呂が最高なんです。

紀子さん:私は、はじめから南畑に絞っていましたよ。まさに今と同じ、戸建で薪ストーブのある生活をイメージしてて。土地選びでは周りの環境にはとにかく気を使いました。絶対に後悔しない場所を選びたくて、大型スーパーができるとか、そういう可能性のある場所は候補に入れない。その甲斐あって、今の家の前は人通りもほとんどないから、カーテンを開けて暮らせます。お隣のご家族も子育て世帯でご近所づきあいも良好です。

南向きの明るいリビング。昼間は電気がいらない。

南向きの明るいリビング。昼間は電気がいらない。

本当に静かで景色の良い場所ですね。実際に南畑での暮らしはいかがですか。前に住んでいたところと、どんなところに違いがありますか。

裕史さん:昔はいわゆる「地域づきあい」というものにあまり参加しない生活をしてきました。この歳になって、そういうのもやらないとなと、だんだん考えが変わってきたんです。そういう付き合いがあるのも分かった上で南畑へ来ました。初めに驚いたのは、毎月区費を公民館へ手渡しで持っていくこと。初めは分からなかったけど、何回か行くうちにその大切さに気づくんです。ああ、そういうことかって。良い慣習だなって。
今ではご近所さんや区長さんと、牡蠣とか鹿を焼いて、かしわめしを食べることもあります。地域の草刈りの後に、「おこもり」という行事があって、私も毎回参加するんですが、楽しいですよ。酒の席ですから、時にはケンカっぽくなったり、いろいろあるけどみんなうまいことやっています。
仲がいい人だけで集まったコミュニティじゃなくて、いろいろな人が居る場所に小さいころから娘が入っていくのはいいことだと考えています。自分が子どもの頃は、家のことは良いから勉強をしなさいという時代でした。娘は地域の中で育てたいという思いがあって。そういう点では、運動会が象徴的ですね。おじちゃんたちがたくさん集まって、もう地域の運動会みたいになっている。みんなお互いをファーストネームで呼び合うから面白いですね。南畑小学校の児童も下の名前で呼び合うとか。フレンドリーになれるひとつの要素なんでしょうか。そういうおじちゃん達ときちんと関係を築くことが、結果的に自分の子どもを地域全体が見守ってくれることにつながっているんです。

移住してもなかなか地域に馴染めない方もいる中、とても溶け込んでいるように感じます。田舎暮らしは大変なことも多いと思いますが、反対に、移住してきて困ったことはありますか?

紀子さん:南畑で困ったことは、今のところありません。南畑には24時間開いているコンビニは無くて20時には閉まるんですが、そんなにコンビニって必要なのかなと思います。どこかの帰り道に買えばよくて、それは段取り次第だし、買い物で不便は感じていません。たとえば「お醤油」がない、としたら「塩」で味付けすればいいわけです。近所の人に貰いに行くのも一つの手。以前、冷蔵庫が壊れたときに、お向いさんの外に置いてある大きい冷凍庫をお借りして対応したこともあります。お餅を買い忘れて、「あ、昨日お向いさんがついていたな」って思い出して、分けてもらったことも。
大事なのは、不便さも楽しむことなんじゃないでしょうか。なんでもボタン一つ押すだけで生活ができるからこそ、地に根差したアナログな生活が大切だと感じます。福岡市の街なかに住んだところで何がいいの?って思うようになりました。田舎に暮らすなら、都会のような生活を求めないことですね。

広い庭には手作りの物干し台や遊具。前には山がひろがる。

広い庭には手作りの物干し台や遊具。前には山がひろがる。

その時の状況に合わせて柔軟に対応することが大切なんですね。南畑で暮らすようになってからは、どのような働き方をしていますか。

裕史さん:造園業なので、庭作りや樹木の剪定などをやっています。先にお話しした通り、周辺へのアクセスが良いので、それぞれの現場へ行って作業をする私たちには、とても働きやすい環境です。ホームページは作っておらず、妻がFacebookを使っているくらいですが、さいわい仕事は来ています。夫婦でやっているので、融通も利き、仕事がしやすいです。仕事と生活のバランスが取りやすいですね。例えば、南畑には大きい病院がないですが、娘が病気をしたとしても、仕事を調整して片方が病院に連れて行ったりできます。もっぱらうちは、基本的に風邪とインフルエンザは寝て治す、という方針ですが。

最後に、これからの暮らしや南畑の将来について考えをお聞かせください。

紀子さん:南畑で一番感じているのが、オーガニックの可能性です。近所に無農薬で野菜を作っている人もいて、そっちに向かっていけば、需要もあると思います。というのも、田んぼや畑が維持されなくなると、今の景観が崩れてしまう。景観が荒れると、資材置き場とか工場とかつくってもいいやってなって、まちが荒れてしまいます。自分たちが暮らす地域ですから、残していくにはどうしたらいいか、自分たちにできることをしていきたいですね。
また、来年度は主人がPTAの役員になる予定になっています。順番にみんなに役がまわってくるみたいです。こういうのも、最初から大変だなとか、嫌だなとか思えばそれまでなので、自分たちでどう楽しんでいけるか。田舎での暮らしは、自分たちの考え方次第ですよね。

裕史さん:そうなんです。そういう思いをもって南畑に来ました。昔は、自分もサラリーマンの時代があって、成果とか効率を求められる環境にいたんです。でも、そういうのより大事なものがここでの生活にはあります。例えば、20年後にAIがなんでもしてくれるようになったとき、今のような環境で育つことが、他の子が持っていない強みになるんじゃないか、なんて考えています。

南畑の行事にも、地域の一員として積極的に参加。(南畑移住促進施設設計ワークショップでのグループ発表の様子)

南畑の行事にも、地域の一員として積極的に参加。(南畑移住促進施設設計ワークショップでのグループ発表の様子)

ちょっとした不便も、いろいろな地域の出事も、ていねいに楽しむこと。結果、その柔軟さで曽根岡さんは豊かな暮らしを実現している。この先輩移住者の南畑での生き方は、移住を検討する人にとって、一つのお手本になるのではないでしょうか。